パチンコ店で再会する孤独な人々【ギャンブル依存症体験記 第51話】

https://ganbulingaddiction.com/2022/01/21/story51/依存症体験記

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【前回の内容はこちら↓】

地元でパチンコ・パチスロを打っていると、幼馴染みや知り合いをよく見かけた。

意外だったのは同級生のお母さんだった。

子供の頃は、もちろん友達のお母さんがパチンコを打っていること何て知らない。

大人になり、自分がパチンコ・パチスロを打っていて、パチンコ店で顔を合わせるのだから、意外だと驚いてしまう。友達のお母さんがパチスロでビタ押しなんてしてた日には、その顔を凝視してしまうことだってあった。

パチンコ店で数人の同級生のお母さんに会っているが、皆、その顔には影があり、きっと自分と同じように苦しんでいるのだろと、どこか胸を痛めた思い出がある。

それは、2003年頃の出来事だった。

私が4号機のアントニオ猪木で道フリーズを引き、ドル箱を積み重ねていると、どこからか鋭い視線を感じた。その鋭い視線の方向にふと目をやると、それは、同じくアントニオ猪木を打つ同級生Tのお母さんだったのだ。

同級生Tとはたまに遊ぶ仲で、彼の自宅に何度も遊びに行くこともあったので、私は自分に気付いているだろうと、目を合わせ会釈をした。

すると、なんとガン無視をしたうえ、さらに私を睨みつけてきたのだ。

真正面から人に睨みつけられる経験は、社会に出てからは当然のないことで、随分と久方ぶりの出来事でもある。それも、相手は強面の人間ではなく、おばさん。突き詰めて言えば、同級生のお母さんなのだ。

驚いた私は、闘魂チャンスの押し順を少々間違える動揺を隠しつつも、なるべく顔を見ないようにアントニオ猪木に集中することにした。

私に何か恨みでもあるのだろうか。私が何か不快な思いをさせてしまったのだろうか。それとも、過去に何か因縁を残したことがあったのだろうか…。

そんなとめどない事を考えながら、しばらく時間が過ぎた。

すると、突然、同級生のお母さんは、自分の台の呼び出しボタンを押し、急いで駆け付けた店員にこう言ったのだ。

「何であいつの台だけずっと出てるのよ!もっと平均的に出しなさいよ!」

その言葉で私を睨みつけていた原因が分かった。

同級生のお母さんは、どうやらそのパチンコ店の常連客のようで、店員も上手くなだめていたが、彼女もまたギャンブル依存症に侵された人間だったのだろう。

自分の息子の同級生をパチンコ店で睨みつけ、あいつ呼ばわりするなど正気の沙汰ではない。

次に印象的だったのが、中学校時代のアイドル的存在だった同級生の女子。

まさか、パチンコ店で顔を合わせるなど思いも寄らなかった。

彼女は若いうちに結婚したようで、子供椅子がついた自転車でパチンコ店に来ていた。

初めて見かけたのは2005年頃だっただろうか。

4号機北斗の拳をタバコを吸いながら打つ姿は、慣れた仕草で熱くリールを見る姿そのものだった。

その時は、「気分転換にパチスロを打ってるのかな?」ぐらいにしか思わなかったが、最後に見かけた時は、ハイエナに徹していたので、もしかしたらガチ勢で呼ばれる部類の人間だったのかもしれない。

しかし、人に言えた事ではないが、幼い頃に共に学んだ同級生で、しかも人気があった女子がハイエナをしているのは、どこか胸が痛み悲しみが刻み込まれる出来事だった。

高校の同級生は二人。

一人は、最終的に仲たがいして付き合いもなくなった同級生。

自分の記憶では、裏切られたという気持ちが残っていたので、顔を合わせのも気分が良いものではなかったが、何度か見かける内に、彼もまたギャンブル依存症で苦しんでいることが見受けられたので、その内に会話をするようになった。

ある時、私がパチンコ北斗の拳で3万発出してると、彼は少し照れくさそうにしながら、こう言ってきた。

「1万貸して…」

一瞬、過去の恨みも多少あったので、「どの口がそんな事頼めるんだ」と思ったが、人間、自分がやられた事はいつまでも覚えていて、自分がやった事は忘れていく生き物なのだろうと、

「隣で打ちなよ」

と返答して出玉の2,500発を元裏切者へあげた。

しかし、彼の台はいっこうに当たる気配もない。MAX機でもあったし、1万円であたる事の方が珍しいだろうし、何よりも過去に裏切った人間から貰った玉でパチンコをしてるのだから、そんな旨い話はないだろう。

その時の私は、決して彼を蔑むような気持ちで見てなかったし、当たるなという気持ちでも、当たって少しは色を着けて返せという気持ちでいたわけでもない。

終わった後に、彼が私にどんな言葉を発するのか、どんな行動に出るのかが唯一興味があったのだ。

そして、2,500発の玉を使い切った彼は、私にこう言った。

「1万円貸してくれ」

今思えば、彼は紛れもないギャンブル依存症者。

最初の2,500発は暗黙であげるつもりだったが、まさか諦められずに催促をしてくるとは考えてもいなかった。

私は、財布から1万円を出すと、彼に差し出した。何となく、同じ痛みを感じたからだ。

その後、連絡を取り合い貸した1万円は戻って来て、時々は一緒にパチンコ店に行くようなこともあったが、結局パチンコ・パチスロ仲間は、パチンコ・パチスロでしか繋がれないのであろう。

特にギャンブル依存症者同士だとこれは顕著なのか、食事などを誘っても二人でパチンコ店以外に行くことはなかった。

最後にもう一人の高校の同級生。

彼は、高校時代からパチンコ・パチスロを打っていた男だった。

明るい性格でジャニーズ的な雰囲気を醸し出していて、当時は女子たちからモテて人気者だったが、同時にどこか影の部分を持ち合わせおり、放課後に誰かと遊びに行くという姿を見かけることが殆どなかった。

今、考えると、彼のその孤独な部分とパチンコ・パチスロが結びつく意味が理解できる。

当時、あれほどモテていた男は、結婚もしていなければ、彼女がいる様子もなく、その頃の年齢でいえばまだ早いであろう白髪を多少混じらせ、黙々とパチスロを打っていた。

きっと友人もおらず、孤独なのだと思う。

私が行く店であるから優良店と呼ばれるような店ではない。そんなパチンコ店で朝から晩までパチスロを打っているのだから、それで飯を食っているわけでもないだろう。

パチスロ台を前に疲れているのか、時折コクリとしてる姿を見たとき、私は胸に傷みを覚えた。

以上、パチンコ店で再会した同級生の話であったが、裏を返せば私もまた、彼らからそう見られているということなのだ。

令和4年1月現在、パチンコ店は閉店ラッシュを迎えているが、街中にパチンコ店が存在することによって、幼い頃の思い出も青春の1ページも色あせてしまうと実感してならない。

パチンコ店は、公営ギャンブルのように、地域限定をするかオンラインの中だけで完結してもらいたいと願って止まない。

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依存症体験記
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