パチンコ屋で出会った人から聞いた深イイ話⑩【ギャンブル依存症体験記 番外編】

https://ganbulingaddiction.com/2021/12/02/another-story/(新しいタブで開く)依存症体験記

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「あなたは重度のアルコール依存症です…」

そう医師から伝えられた時、私はそれを受け入れられなかった。「お酒を飲むことを止めようと思えば、いつでも止められる。私はそんな病気じゃない…」そう思っていた。

だが、今日だけは少しだけ飲もう。明日から止めればいい。と思っている内に、体はいうことを利かなくなり、ついには会社にも出勤できなくなった。

2~3日は風邪の症状を会社に報告して休んでいたが、それまでに仕事のミスが多く、体調が悪そうな私を会社の人たちは気づいていて、病院の診断書を提出するよう話があった。

とてもじゃないが、出勤して仕事が出来る状態じゃない私は、心療内科にはじめて行き診察を受け、アルコール依存症になっているという事が分かったのだ。

さらに、医師からは、「アルコール依存症が起因として、うつ症状も併発しています…」と言われ、すぐに入院した方が良いとすすめられた。

だが、それを受け入れる事ができなかった私は、入院することを断り、うつ病に罹患している診断書を書いてもらい、抗うつ薬と睡眠薬をもらうだけで心療内科を後にした。診断書を会社に提出すると、すぐに休職の手続きに入った。

「半年間の休職期間が過ぎれば会社を辞めることになるだろう…」

その時、私は二度とその会社の敷居を跨ぐことはできない事を悟った。そこから、病気の症状は悪化する一方で、昼間からコンビニに行ってはお酒を買い、酷い時には自宅に持ち帰るまで我慢できず、コンビニの前で飲んでいる始末だった。

学生時代からお酒は飲んでいるが、会社に入ってからも記憶がなくなるまで飲んだりした事もなければ、道端で倒れるような事もなかった。ましてや、会社の飲み会で醜態をさらすという事もなかったので、なぜ、会社の人たちが変だと思ったかは分からない。ただ、自分では気づかない何かがあったのだろう。

毎日のように昼間からお酒を飲む私は、二日酔いが酷く、それを誤魔化すために一日中飲んでいるという状況で、酔っぱらって、気づけばいろんな友達や知り合いに電話をしている事が頻繁に続いた。

その電話で異常を感じた友達が駆けつけてくれて、やがてアルコール依存症を回復させる病院に入院することになった。

そこでは、ただ単にアルコールを飲まないように生活することだけではなく、自分自身が病気になっているという事を受け入れるという、医師の講義を受ける授業のようなものもあり、医学的にその病気の事を勉強する機会を得ることもできた。

入院当初は肝臓の数値もいつ倒れてもおかしくないような数値を示していたが、入院生活は食事も健康的で、運動もリハビリの中に含まれていることから、徐々に私の体は回復をしていった。

何よりも、その病院には同じアルコール依存症で入院している人たちがいて、男性ばかりではなく、女性も多くいたことが私の気持ちを軽くさせ、同世代の人と会話をするうちに、同じように悩み、似たようなプロセスで入院に至った事を知り、回復させようという気持ちが日増しに強くなった。

2カ月の入院生活はあっという間に終わり、私の心と体は健康を取り戻していたが、同時に退院することが大きな不安でもあった。入院していれば、自然にお酒を断つことができたが、これからは自分の意志で止めなければならない。この病気は一生付き合っていかなければならない事も学んだ。

退院してからは、病院で連絡先を交換し合った人たちと毎日のように連絡を取り合って励まし合い、他の趣味や運動でお酒を思い出さないように生活を送った。

しかし、それは長くは続かなかった。ある日、ジョギングをして喉が渇いたので水を買おうとコンビニに入ると、無意識に私はアルコールを手にしていた。それからは、積み木崩しのように崩れるのは早く、入院前の姿に戻っていた。酔ったままで、励まし合っている人たちにも電話をし、それから私の電話に出てくれる人もいなくなった。

激しい自分への怒りはやがて、育ててくれた両親や家族、友達や会社への怒りへ変わっていった。人を恨むことによって、自分の罪悪感を忘れようとしたのだ。その感情は私を孤独にさせ、社会からも日常からも私は孤立をしていった。自暴自棄な毎日を送るうちに、怒りの感情はいつしか消え、

「やはり私はダメな人間だ。私は弱い人間なんだ。」と思うようになり、客観的に自分を見つめるようになっていた。

思えば、私は社会に出てから無理をしていたのかもしれない。学生の時までは人とのコミュニケーションは嫌いではなかったが、社会に出てからは、歳の離れた男性や女性とのコミュニケーションが苦手に感じていた。

言われなくても分かるだろうという事柄や空気を読むというニュアンスが私には理解できない事が多くあった。なるべく自分の意見は言わないように、目立たないように働いていたように感じる。

そういった自分を押し殺すような無理が気づかぬうちに精神的負担となり、それがアルコールを飲むことによって解消させる事に繋がり、やがて体の限界を超えアルコール依存症という病気になったのではないかと思える。

そんな事を考えながらも、私はお酒を止めることはなかった。もう、止めることは出来ないという諦めの感情が私を支配していた。休職期間の6カ月をまもなく迎えようとしていた頃、私は追いつめられるような感情になり、それは絶望という名前に変わっていた。

「すべてを終わらせよう…」

私は部屋の整理を始め、残すべきものは実家に送る準備をしていた。肉体的にも精神的にも衰弱していたが、最後はなるべく迷惑をかけないようにと様々な手続きを済ませた。

「あとは私が自分の人生を終わらせるだけだ…」

まさに、最後の行動に移そうとしていた時、玄関のチャイムが鳴った。訪ねてくる人間なんかいないはずなのに、こんな時に何なんだという気持ちの中、玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは、見知らぬ人物だった…。

「何ですか?…」と投げやりに聞くと、その男性は、「お久しぶりです…。突然すみません…。以前、児童養護施設で…お世話になった…大友です…」と名乗った。

「大友さん…?」

初めは誰なのか分からなかったが、徐々に記憶が蘇り、その男性が誰なのかを理解した。私が高校生の頃、課外授業で児童養護施設を訪れたことがあったのだが、そこで仲良くなった子であった。

当時、私は高校生だったが、彼は小学生だった。課外授業では月に一度、高校を卒業するまで児童養護施設を訪問する機会があったのだが、彼とは仲良くなったこともあって、その後もしばらくは連絡を取り合ったりしていた。

連絡を取らなくなったのは、彼が思春期を迎え、年上の女性と連絡を取り合うことが照れくさくなったのだと思う。それからは、私が実家を離れたこともあり、顔を合わせることも、見かけることもなかった。それ以来なのだから、大人になった彼を見て、大友君であることはすぐに分かるはずもなかった。

「実家に訪ねたら…こちらの住所を教えてもらったので…来てしまいました…。すみません。」

律儀に話す彼の姿は小学生の頃とは見違えるものがあった。だが、彼の話し方にはまだ障害が残っているようで、自分が思っていることを上手く話せない様子であった。

当時の彼は、両親もいない環境の中、児童養護施設で育ち、言葉が上手く話せない障害を持ち、小学校ではいじめを受けていた。彼のランドセルには、彼が付けたものではない、幾つもの傷が入っていることもあった。

その事に気付いた私は、ランドセルの事は触れずに気に掛けるようになったが、仲良くなるにつれ、少しずつ学校での出来事を話してくれるようになった。

学校の机には彫刻刀で悪口が彫られ、靴が隠さる事も度々あり、友達になったと思ったクラスメイトからは、放課後に遊ぶ約束をして、待ち合わせの場所で待つと、いつまで経っても友達が来ないというイタズラを受けていた。

彼が育ち環境と体の障害を揶揄し、複数人で一人を攻撃するという、明らかないじめを受けていて、話を聞いた私は胸が痛み、いじめをしている子供の家に乗り込んでやろうかと思ったこともあった。

ただ、彼はどんな事があっても学校を休むことがなかった。どんなに辛く苦しい思いをしても、いじめが嫌で学校を休んだら自分の負けだと言っていた。

年が離れた少年が、そんな強い心を持っていることに驚き、私は、

「何があっても学校に通うという、その気持ちが凄いことだよ」と、ただひたすら励ました。

そして、私は「何があっても大友君の味方だよと、例え、大友君が犯罪者になったとしても、は大友君の味方だからねと、どんな理由があっても大友君をいじめる人間がいたら私は絶対に許さないからね」、と伝えた。

「お姉さんとの約束を…働いて稼ぐようになったら…ご飯を…」

彼が言っている事は分かった。あの時、彼は私の言葉が嬉しかったのか涙を流し、自分が働くようになったらお姉さんにご飯をご馳走すると言っていた。

泣きじゃくりながら、何度も好きなものを食べても良いよという、その少年の顔がとても可愛くてしかたなかった。彼はその時の約束を忘れていなかったのだ。わざわざ、その約束の為に、私の実家まで足を運び、決して近くはないこの場所にまで訪ねてきた事に、私は自然と微笑んでいた。

「大友君、立派になったね…。私は…」

そう言いかけると、彼は遮るように言った。

「こないだ…時給が100円あがったんです!…」

目を丸くして言葉を失っている私の顔を見て、彼は屈託のない笑顔で笑った。そんな彼を見て、私は忘れていた感情に火がともったような気がした。

「ちょっと待っててね!今外に出る準備をするから!」

彼にそう言いい、私は急いで支度をすると彼と食事に出かけた。

「何でも…好きな物を食べていいよ!」

いつの間にか敬語ではなく、あの頃のように話す彼を見て、また私は微笑んだ。彼の心はあの時まま強かった。私もあの時のように、人を励ますことによって、もう一度人生をやり直すことが出来る。
彼の姿を見ているだけで、私はそう思うことが出来た。

依存症体験記
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