パチンコ屋で出会った人から聞いた深いい話【パチスロ一人旅の女性を救う】

https://ganbulingaddiction.com/2021/09/08/good-story/(新しいタブで開く)依存症体験記

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その日、俺は仕事がうまくいき上機嫌で会社から帰っていた。

最寄りの駅で降りて歩いていると、近所の定食屋の前でうずくまる若い女性がいた。定食屋はもう既に閉まっている。ふと視線を送ると、その女性はリュックを背負い元気のない様子でうずくまっていたのだ。「体調でも悪いのかな」と少し気に留める程度であったが、横を通り過ぎると、

「お兄さん助けてください…」

かすれる小さな声が聞こえてきた。振り返ると、その女性はうずくまったまま、こちらに視線を送っている。

目があったので俺に声をかけている事は理解した。立ち上がる事も出来ないのか、これまで何人も声をかけてきたが無視をされて、立ち上がる事も嫌になってしまったのか、俺はその女性の前に歩み寄った。

「どうしたんですか?」

その女性の目は疲れていた。どうやらケガをしている訳ではないようだ。話を聞くと、3日間食事をしていない。1000円貸してほしいというという事だった。女性が座り込む横に俺も座ると、詳しく話を聞いた。

福岡から東京まで旅で出てきたがお金がつき、どうにもならない状況だと言う。俺は一瞬ためらった。そんな事があるのだろうかと。スマホも持たず親族にも連絡を取りようがないとも言う。これで相手が男性なら詐欺に近いものも感じるが、若い女性一人で男性にする詐欺としては程度が低すぎる。本当なのかもしれない。

いつもなら、都会で擦り切れた俺の心は、そんな事に相談に乗るほど余裕もないのだが、その日は仕事の成功で気分が高揚していた事も重なったのだろう、おもむろに財布を取りだすと1万円札を女性に渡した。どうせ騙されるなら10倍払って驚かせてやろうという自棄になる気持ちもあった。

1万円札を手渡された女性は一瞬驚き、その後、目に涙を浮かべた。その目を見て、俺は「本当に困っていたんだ」と悟った。そして、俺は付け加えてこう言った。

「そのお金は返さなくていいよ。条件として、公衆電話からでもお母さんに電話をかけてあげて。心配してるだろうから…」

そして、もう一つの条件として、いつかお金に余裕ができたら困っている人を助けてあげてと付け加え、俺はその場を早々に後にした。

というのも、流石に1万円を差し出したことに僅かな後悔がある自分がいたからだ。そんな小さい心の自分をその女性に見透かされたくないという心境もあったのも事実だ。


俺は良いことをしたという気持ちよりも、その若い女性がその後どうなるのか心配だった。後から考えれば、1万円じゃ福岡には帰れるかわからない。新幹線は確実に無理でも、夜間バスなら帰れるかもしれないが、そんな事を調べてあげてからお金を渡せば良かったと後悔した。

3日間も食事をしていなと言っていたのだから、まずはご飯をご馳走して、その時に話を詳しく聞いて困っている事に対応してあげるという手もあったなと、もっと言えば、自分の名前すら名乗らなかったのだから、つくづく自分は詰めが甘いなと、何だか昼間の仕事の成功体験は打ち消され、反省という二字が頭によぎってしまった。

それからしばらくは、その女性の事も気にしていたり、会社帰りに定食屋の前を何度も見たりしていたが、その女性の姿はなく、無事に帰ったのだろうと自分の中で結論づけていた。

数日も経てば多忙な毎日に追われ、すっかり気にも留めなくなっていた。それから数年が過ぎた頃であろうか、会社で一本の電話を取ると、何か違和感を覚えた。

「どこかで聞いた声だな」

そう感じた。

基本的に会社への電話は企業のお客様からだから、知っている付き合いのある企業なら担当者の声で顔が浮かぶ。でも、その電話は個人のお客様で本来なら、声で「聞いたことがある声だな」なんて事はありえない。そして、その電話の内容で俺は驚愕する。

そのお客様は個人で大量の商品の購入をするというのだ。また、その商品は慈善事業で福祉施設に寄付するのだという。それまで、十数年働いているが、そんな出来事は一度もなかった。

上司からもそんな話を聞いたこともない。そもそも、俺が働いている会社は企業向けの商品を販売しているので、個人で購入すること何かほぼ無いし、その大量の購入代金だけで数億にもなるのだから、個人でそんな買い物をすることなんかあり得ることじゃない。

驚きながらも、福祉施設への寄付なら正当な理由だと思い、丁寧に話を聞いていった。そのお客様は福岡で新設した福祉団体の代表をしていて、今回、大きなプロジェクトとして福祉施設に設備機器を寄付したいとの事だった。

「福岡」という地域名で俺は直感した。この声はあの時の女性だと。


あの時の弱弱しいかすれた声とは別で希望に満ち溢れた、生き生きとした声ではあるが、あの時、去り際の俺に

「ありがとうございました!」

という、弱り切った体から力を振り絞って発した声の温もりは、今の電話の声、端々から感じるその声は、その女性の声と違いなかった。

ただ、その場であの時の出来事を切り出す訳に行かず、「あの時の人ですよね」という質問をするわけにもいかない。確信はしているものの、万が一違ったら失礼にも値するし、せっかくの仕事の話も台無しになる可能性もある。

俺は出かかる言葉を飲み込んだ。素直にその電話を切ったのは、そのお客様が住む福岡に足を運び挨拶をする事になったからだ。もし、電話だけで終わったのなら、このモヤモヤとした気持ちはどうにもならなかっただろう。

3日後、俺は福岡に行き、その事実を確認することが出来る。そう思いながら、その日は会社帰りにいつかの定食屋の前でふと立ち止まり、あの時の事に思いを寄せていた。

3日後、羽田空港から福岡空港に向かう飛行機に乗った俺は、楽しみな気持ちと複雑な心境が行き来していた。万が一、違う人だったら俺はがっかりするのだろうか?

この数日間のモヤモヤした気持ちは晴れるのだろうか?あの時の女性だったとして、俺はあの時の出来事を切り出す必要はあるのだろうか?それを話したところで女性は嫌な気持ちにならないだろうか?

俺の事を知った上で会社に電話してきた筈はない。あの時俺は名前も名乗らなかったし、住んでいる場所はあの地域だと分かったとしても、調べようもないだろう。偶然なはずなんだ。でもそんな偶然があるだろうか?

よくよく考えれば、あの時、リュック一つでお金に困っていた若い女性が数年で福祉団体の代表という話もどうなんだろう…。やはり別人なのだろうか。

そんな取り留めもない事を何度も頭の中で考えているうちに、飛行機は徐々に下降し、福岡空港へ着陸していた。


「お客様」とは福岡空港で待ち合わせをしていた。車で迎えに来てくれ、そこから福祉団体の事務所まで連れて行ってくるという。

俺ははやる気持ちを抑えながら、空港ロビーの待ち合わせの場所まで歩いた。そこには、女性が一人立っていた。「お客様」はその人で間違いないだろう。

俺は

「○○さんですか?」

と声をかけた。そうですという返答の女性の目を見て、俺の確信は間違いないものだったと分かった。確かに、今、目の前にいる女性はあの時の女性で間違いない。見た目こそ、リュックを背負った私服でもなければ、弱弱しくかがみこんでいる姿でもない。でも、あの時の涙を浮かべた目は、今、目の前で微笑んでいる目と同じだ。

俺は名刺を差し出すと、この度のお仕事の御礼を言い、頭を下げた。
お客様は

「こちらこそ助かります」

と微笑んでいる。どうやら、俺の事は気づいていなようだ。二人でロビーから駐車場に歩き、天気の話などたわいもない会話をしながら車に乗り込んだ。会話の途中で気づいてくれないかと思っていたが、そんな様子はどこにもない。俺だけがいつまでも気にしているだけで、この女性は人生の一瞬の出来事だっただけなのかもしれない。

俺の事なんか覚えている筈もないかと、どこか張りつめていた糸が切れかかるような気持ちになっていた。そもそも、俺も困っている人にお金を上げただけで、その時の事を覚えていますよね?っていう事を確認しようとしている自分に嫌に気持ちにさえなってきていた。

いや、お金の事じゃない。あの時の出来事でもない。こんな偶然がありますか!?っていう驚きを共有したいだけなんだ。そんな事を車に乗ってる最中も考えたりして、「お客様」との会話はどこか上の空であった。

そんな俺を察してか、「お客様」は自分の事を話し出した。

「私は困っている人を助け続けないといけないんです…」

その言葉から始まる、「お客様」、いや、女性の話はこんな内容だった。

福岡の名家に生まれた女性は、何不自由なく生まれ育った。大学を卒業し、親族が経営する会社に就職する予定だったが、どこか満たされない自分がいることに気づいた。これまで、自分の意志で何かをやり遂げたことなどない。

そんな自分に自信が持てなくなっていた。そして、旅に出たいという衝動に駆られ家を飛び出した。初めての両親への反発だった。海外への旅も考えたが、それはさすがに危険だと思い、日本全国を旅しようと計画した。

東京に来た所で、世間知らずとお人よしが災いし、スマホと財布を盗まれてしまった。交番で事情を説明し電話を借りて実家に電話することも考えたが、両親から「ほら見たことか」と言われることが悔しくて出来なかった。

数日間、行くあてもなく、途方に暮れ、最後はお店の前で座り込んで動けなくなってしまった。その時、衰弱した体から恥を忍んで通りがかりの男性に声をかけお金を貸してほしいと頼んだ。勇気がいることだった。何を要求されるか分からない。

でも、その男性は1万円を差し出してくれた。ご飯を食べるお金だけでもと思っていたのに驚いた。そして、返さなくていいと言う。その代わり、お母さんに電話をかけろと言われた。そして、もう一つ。困っている人がいたら助けてあげてということだった。そんな条件を言われるとは思いも寄らなかった。

その後、約束を守り、その1万円札をくずし公衆電話から実家に電話をし、今にも泣きだしたくなる不安な気持ちを抑え、東京から帰ることを伝えた。声を聴いた両親は安心していた。そして、東京から博多への夜行バスで帰ることができた。その間、お金が足りるか分からなかったので、夜行バスのチケットを買った後、僅かに残った小銭で菓子パンを食べた。その時の味は今でも忘れられない。

そんな思い出の旅も終わり、失敗に終わったかに見えたが、自分には大きな目標が達成された。それは「本当にやりたいこと」が見つけられたからだ。もっと言えば、「本当にやらなければならないこと」を見つけられた。

あの時、困っている自分に手を差し伸べてくれた男性の言葉。「困っている人がいたら助けてあげて」。今度は自分が人を助ける番だと。それで両親を説得し、親族の会社への就職を断り、福祉団体を設立した。資金は親族に散財したりため込む位なら困っている人に寄付しなさいとねじ伏せてかき集めた。

「これから困っている人を一人でも助けることが私の使命なんです。あの時、私を助けてくれた男性との約束も果たさないといけないんです」

そう微笑みながら話す女性の目は希望に満ち溢れ生き生きとしていた。

俺はその話を聞きながら、名乗りだすのは辞めようと思った。その方が良いに決まっている。

福岡の空は雲一つない晴天だった。

上記の話を私はパチンコ屋の開店前の並びで前半部分、帰り際に呼び止められて後半部分を無理やり聴かされました・・・

バーサス
バーサス

皆さんはこの話、本当だと思いますか?

最後までご覧いただきありがとうございました。

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