付き合っていた彼女のお金にまで…【ギャンブル依存症体験記 第2話】

https://ganbulingaddiction.com/2021/07/11/experience-debt/依存症体験記

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その後、私は毎日のようにパチンコ屋に行くようになり、学業に身も入らず、地道にバイトで稼ぐ友人らにも愛想を付かされる存在になっていきました。学業、部活、バイト、いずれも中途半端なギャンブラー。と言えば聴こえは良いが、負けてばかりのギャンブラーになっていったのです。

ついには、当時付き合っていた彼女を連れてまでパチンコ屋に行くようになりました。最初は、他の友達と遊んでほったらかしにされる位なら、二人で遊んでいるパチンコの方が彼女も楽しかったのかもしれません。

ですが、カップルでギャンブルをやると、誰もが陥る結末に漏れることなく、彼女からお金を借りるようになり、ついには、高校生ながら彼女から総額で10万円ほどの借金をするところまでいきました。

彼女が必死にバイトで稼いだお金です。これが私の初めての借金でした。

最後はその借金、もっといえば、私がギャンブルにのめり込む姿に嫌気が差したのでしょう。高校を卒業してまもなく、別れることになりました。

その時は自分でも気づきませんでしたが、私は知らず知らず行動はおろか、人格までも変わっていってしまったようです。ギャンブルは、人間の人格を180度変える化物みたいな存在なのだと思います。

空虚感の中で人生の先行きに不安を覚えた私は、少しでも時間的猶予がほしいと、進路を大学に決めましたが、受験に受かる学力もなく、親のすねをかじり予備校へ進むことになりました。

しかし、心を改めることもない私は、予備校でも事件を起こします。

当時、都心の某所にあった怪しげな予備校(学費がだいぶ安い。通ってる人間が自分を含め影がある…)へ通うようになったが、それは親になるべく負担を掛けたくないという思いでした。

始めはまじめに講義を受けていましたが、次第に熱が冷めていき、講義をさぼる事も増えていきました。環境のせいにしては何をやっても上手くいくはずはないですが、怪しげな予備校だけあって、講師から予備校生から環境から、癖がありすぎて、私には耐え切れ状況になっていきました。

その環境に打ち勝つほど自分は成長していなかったのだと思います。

時間をもて余し孤独になると、ギャンブルの魔王は付け入ってくるというのが常套手段です。

私の足は予備校へとは向かわず、自然と10時開店のパチンコ屋へと向いていきました。予備校には行きませんでしたが、その分、夜に自宅で自習は続けたのですが…。

当時は爆裂パチンコCR確変機が全盛期で『CR黄門ちゃま』にはまり、パッキーカード5,000円が僅かな時間で12万円に化けることもありました。巷でも日常茶飯事に10万発が出ていて、換金にして40万円に変わるような出来事を多くありました。

始めはちょこちょこ打っていた私も、ついには、勝ったお金をつぎ込んだりして、一日数万円遣うこともありました。しかし、当時は学生だったので借金をする術も分からず、負けて手持ちの金がなくなれば大人しく自宅に帰っていました。

そんなある日。予備校から一通のお知らせが来ました。夏の特別受講代金として、8万円納めてくださいとのことでした。親から8万の特別受講代金を受けとると、私は何を血迷ったのか、その足で地元とのパチンコ屋へと向かっていました。この時の体験は後々人生に影響を及ぼしました。

私は封筒から一万円札を出すと、「フリッパー」というスロット機に金を投入しました。その時の心境は何とも言えない自己嫌悪とそれに反しての高揚感が交差するものでした。

当たりを引くまで不安に苛まれ、当たりを引く瞬間にほっと胸を撫で下ろす。しかも、使っているお金は本来使ってはいけないお金。この時、人を裏切る代わりに、私は脳に大きな傷を負った事を後々知ることになります。

結果的にこの時は勝ちに終わる事が出来て、予備校に特別受講代金を支払い、事なきを得ましたが、さすがに友人にこの事を話すと、

「負けたらどうするつもりだったの!?」

と叱責に近い言葉を貰ったことは、今でも強烈に覚えています。

しかし、私は

「どうにかなるもんだな…」

と愚かな思考に入り込んでいったのです。

依存症体験記
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