【前回の内容はこちら↓】
会社への復職を願い出る一本の電話。
双方の温度差は歴然であった。
今思えば当然ともいえよう。
心を入れ替え、奮い立つ思いで復職を願い出る私と、「流石に休職期間満了で退職するだろう」と思っている会社側では、温度差があって当然でしかない。
しかも、私を長年辞めさせたいと思っていた上司の根回しは着々と進んでいたようで、私がいつ退職しても差し障りがないような体制が築かれていた。
後に知ったことだが、私が休職している間に「社内規則」をも変更し、休職期間を短縮させるような事までされていた。
その事について、会社側の説明は「久しく社員の休職というケースがなかったから社内規則を見直した」ということだったが、同時期に会社を休職していた同僚は、私よりも長く休職期間を貰っていたため、本音は辞めてもらいたかったのだ。
それまで、事あるごとに私に対して励ましの様なメッセージを送り続けたのはパフォーマンスでしかなかった。
要は会社側もパワハラの事実を把握していたのだ。
問題は私がそれを告訴するかどうか、それまでのパワハラの証拠を記録しているかどうかであった。
一度、総務管轄の人間と面談した際に、巧みに証拠の有無を確認するような質問があったため、私はその事を察しはしていた。
だが、ここまで必要とされていない、むしろ、居てもらっては困るという段階に入っているとは思ってもいなかった。
仕事において一定の成果は残してきた自負と、その会社においては他の社員よりも恵まれたある強みを持っていたため、再起を図れると信じて疑わなかった。
厚顔無恥な人間だと多くの人は思うかもしれない。
だが、当時は社内規則にある社員としての権利を行使しているという考えも強かった。
また、自分自身が病んでいる原因は上司による長年に渡るパワハラだという思いもあった。
もっと視野を広くして、そういった考えに固執していなければ、その段階で他の選択肢はあったに違いない。
そして、その段階ではギャンブル依存症という病気を意志の力のみで治せると思っていた。
私の復職願いの電話を戸惑った声で返答する所属長。
私が通院する心療内科の医師の話を直接聞きたいということであった。
数日後、1年ぶりに会う所属長は、私が慣れた足取りで心療内科に向かう姿に少し驚いた表情を見せた。
その微妙な表情は、彼が私を心底信じていない表れでもあった。
医師からも「復職しても大丈夫でしょう」という言葉を貰い、3者面談は無事に終わった。
私も、復職まではこれで問題ないだろうと思っていた。
というのも、その所属長は私と関係の悪い上司にある事ない事吹き込まれて踊らされてはいたが、良い意味で超合理的な性格、悪い意味で人情の欠片もない自分であったため、医師からの言葉という重しは合理的に動くと判断していた。
ちなみに、どれくらい合理的かつ人情がないかというと、創業者が使っていた貴重な椅子を何の躊躇もなく捨てれる位のレベルである。
普通の人間ならば、僅かながらにも愛社精神というか、会社への愛着というか、そういった心があるのではないかと思う。
その会社を創業した人となれば、敬う気持ちというか、畏れる気持ちというか、そういった念を抱き、少なくとも普通の椅子ではないのだから、躊躇なく処分することは有り得ないのではないだろうか。
さらに、私は「配置転換」の希望も書類にして提出した。
配置転換を希望する理由は細々と書いたが、何よりも肝であったのは、その所属長のリスクを軽減させることであった。
私なり出来る限りの配慮のつもりでもあった。
復職した私がまた潰れるようなことがあれば、所属長は周りから責めれれるかもしれない。
だったら、パワハラ上司の所に戻ってやろう!という刺し違えるつもりの、まさにギャンブルをするかのような選択でもあった。
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