パチンコ・パチスロをやる人に何気なく、「一番たのしい時間帯はどんな時?」と聞くと、多くの人が朝の並び、あるいは入店した瞬間だと答えていた。
どんな趣味もそうなのかもしれない。旅行の前日がテンションMAXであると同じような事なのかもしれない。
だが、パチンコ・パチスロをやる人間の開店前のテンションは、どこか異質に感じる部分もあった。
後に知った事は、これから訪れる希望か絶望に、脳が異常になる程のドーパミンが放出されて、正常な精神状態ではないという事だ。
ドーパミンは快楽物質であるから、食事をしても、好きな音楽を聴いても、好きなスポーツをしても、タバコを吸っても、お酒を飲んでも、自分の体質に合っていれば放出される。
医師の見解によれば、問題なのは、その行為によって放出されるドーパミンの量であるという事だ。
脳は一度覚えた快楽の記憶を持ち続ける。自身が消滅するまで、その快楽の記憶は脳に刻まれていて、何年間もその行為から離れていたとしても、何かの拍子でフラッシュバックして、とてつもない程の衝動に駆られることさえあるのだ。
薬物依存症者がメディアなどで、その快楽について答えるシーンは多くの人が目にした事があると思う。
その人らは「人生で味わったことの無い程の爽快感」という表現をするが、これは、薬物を摂取した時に放出されるドーパミンの量が、日常では得る事の無い量だという事に置き換えられる。
薬物関連の専門家の話によれば、「ヘロインは人間の一生で感じられる幸福の全てをその短時間で一度に味わう」と表現する。
それ故に、「幸せの前借り」とも言われていて、その後の人生が尋常じゃない程に苦しく、幸福を感じられないものであるかという事が理解できる。
だからこそ、日本国においても薬物を厳密に取り扱い、法律で縛っている。
賭博においても、日本国内では公営ギャンブル以外は法律で禁止にされているが、裏社会のマネーロンダリングの隠れ蓑になることを防ぐというよりは、このドーパミンの作用を科学的に熟知していて、多くの国民が廃人になる可能性が高く、国の秩序が乱れるという理由で、法を制定していると思える。
この事から考えることは、パチンコ・パチスロというグレーゾーンのギャンブルついて、科学的にどれほどのドーパミンが放出される行為なのか、還元率などのギャンブル性だけでなく、パチンコ・パチスロ台の光、音、振動などが人間の脳にどれほどの影響があり、依存性があるものなのかを調査する義務が国にはあると思うのだ。
消費者として、リスクを知った上でパチンコやパチスロをやり、ギャンブル依存症になったのなら、まだ「自業自得」「自己責任」という言葉を素直に受け入れられるが、「庶民の娯楽」「適度に楽しむ遊び」と謳いながら、薬物と同じようなリスクと依存性を提供しているならば、それは悪質だと思わざるを得ない。
20代のパチンコ遊技者の推計は、パチンコ・パチスロをやる人口のわずか5%との数字を目にした。
これにはなぜか安堵の気持ちというか、未来を担う若者たちが守られて良かったという気持ちになった。
なぜなら、多くの若者が残酷を目の当たりにする事になるだろうし、目先の金を手に入れたとしても、失う物の方が大きいと思うからだ。
20代の遊技人口が少ない要因は様々あるだろうが、何より大人達が子供を連れてパチンコ屋に行くことが出来なくなった事が大きな要因ではないだろうか。
私の子供の頃は、パチンコ屋で子供が父親や母親を待っていたり、一緒になって打っている姿を目にした。
それはパチンコ・パチスロへの垣根の低さとなり、懐かしさに繋がっていき、ライトユーザーやヘビーユーザーに繋がっていったのだと思う。
子供心にすれば、パチンコ・パチスロというよりも、親と一緒に自宅以外で居られる事、親と一緒に遊べるという事自体が嬉しいのだろうが、その純粋な思いと裏腹にこの大人の行動によって、多くの子供たちがやがて悲惨な思いをするのだから、皮肉な事としか言いようがない。
パチンコ店に未成年の入店禁止を厳守するよう、規制をかけた国の対応は、最大の功績だったと思える。
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