何度となく繰り返してきたように、パチンコ・パチスロにどっぷり浸かり行く私は、仕事の合間を縫ってでもパチンコ・パチスロに没頭。
営業職で地方のエリアも担当していたので、出張に行った時は、宿泊する近くのパチンコ屋で閉店間際までパチンコ・パチスロを打てる事がひとつの楽しみでもありました。
なぜか、出張に行った際はパチンコ・パチスロでよく勝てた記憶があります。
いい気になった私は金曜日に出張し、土曜は開店から閉店までパチンコ屋で過ごし、日曜日に東京に帰ってくることもありました。
パチンコ依存症者の特徴の一つは、パチンコ・パチスロ以外では常に腰が浮いている事だと思います。
仕事をしていても、彼女と会っている際ですら、腰が浮いていて、
まさに、「心ここにあらず」という状態。
もはや禁断症状といっても過言ではありません…。
そんな人間がいつまでも仕事が順調なはずがなく、初めは自分を誤魔化すだけは何とかなっても、ついには他人をも誤魔化す事は困難になっていました。
「何度同じことを繰り返すのだろう…なぜ、こうなってしまうのだろう…」
もう終わりだと思っていました。
そんな中、救いの手が伸びるかのようにある人との出逢いが。
それが今の妻だったのです。
彼女と出逢った頃は、パチンコ・パチスロを止めようと思っていました。
こんな自分といても相手を不幸にするしかない。
ならば、何度も挑戦してきたように、もう一度、ギャンブルから離れる挑戦をするしかないと。
しかし、ギャンブル依存症は、例え愛する人ができても容易に克服できるものではなかったのです。
「自分は何て精神力の弱い人間なんだ!」
「自分は何て意志の弱い人間なんだ!!」
幾度となく自分を責めました。
今思えば、この考え自体が謝りであり、無知だったのです。
しかしながら、一時期の破壊的なギャンブルへののめり込みからは脱却し、彼女の存在のおかげで、パチンコ・パチスロは軽減され、借金も少しづつ減っていきました。
彼女との付き合いが2年になろうとする時、彼女から将来についての話が…。
私は困惑しました。
借金はあったし、何よりもパチンコ依存症を自覚していた私は、きっと彼女を不幸にすると感じていたのです…。
何度もこの事実を告げようとしました。
しかし、その事を打ち明けられない弱い自分がいたのです。
とにかく、もう少し時間があれば止められる…。
彼女は私より年上で他にお見合いの話も出ていました。
苦慮の末、私は結婚を決意しました。
「これが人生の岐路だ。」
ここで正しい道を歩むのだ。
人間らしい自分を取り戻すのだ。
自分を変えるのはこれしかない。
ほどなくして、私たちは結婚をしました。
しかし、その時、未だに借金が50万円ほど残っていましたし、私がギャンブル依存症であるという事実は告げずに結婚をしたのです。
結婚当初、私の通帳を見た彼女は驚いていたが、それ以上私に何かを追及することはありませんでした。
今思えば、彼女の実家に結婚の挨拶に行った時、ご両親とまともな会話ができなかったのは、自分に負い目があったのかもしれません。
いや、何よりも真剣にパチンコ依存症を克服しようとする決意ができていなかったのかもしれません。
その後、結婚生活は順調にいっているように思えました…。
しかし、数年後、さらなる事態へと急変するのです。
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