止まらないパワハラ 止まらないギャンブル やがて病気が発症する【ギャンブル依存症体験記 第16話】

止まらないパワハラ 止まらないギャンブル やがて病気が発症する【ギャンブル依存症体験記 第16話】依存症体験記

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相も変わらず、上司達のパワハラは酷く変わりのないもでした。

私が結婚式も披露宴も行わず、友人たちだけでパーティーをやったことも気に食わなかったようです。
古い体質というか、風習というか、「何で俺に挨拶が無いんだ」という態度で、
そんな旧態依然とした上司らに辟易としていました。

そんな状況であるので、私は結婚後にすぐには新婚旅行などには行かず、休みも取らずに普通の出勤をしていました。

要するに私は「可愛くない」存在だったのでしょう。
上司や先輩から可愛がられるという要素はこの社会では非常に大切なことなのだとつくづく思います。

パワハラはエスカレートしていき、上司は部署の一人一人に声をかけておいて、私だけ無視をするということは度々ありました。
周囲の人間もそのことに気付いていて、私を「干している存在」と周知させる目的もあったのでしょう。

他にも、私に過重な業務を振り分け潰そうとすることもあり、その成果が出ないと、誰に言うわけでもなく、皆が聞こえるように業績についての指摘を毎日のように繰り返していったのです。

それでも私は上司からの玉は打ち返し続けるが、もともと決断ができない人達なのか、嫌がらせでペンディングしているのかは分からなかったが、懸案事項が山のように貯まり、それも私を苦しめました。

やがて、私は以前のように、一人になりたいという欲望と全てを忘れたいという欲望を果たすため、パチンコ屋に通い始めてしまったのです。

その時期は、規制されたパチスロよりも、パチンコが元気を取り戻し、CR花の慶次やCRガロなどが業界を席巻していました。

そんなある日、ある店で「パチンコの大当たり履歴が終日で0で終わる事がない」というのに気付いた。
それほど客付きが良い店でもないし、総回転数も4桁も回ってない台も多数あった。
それなのになぜか大当たりが0回で閉店を迎えることはない…。

オカルト打法だと思っていたが、それから毎日のように仕事帰りにパチンコ屋に行き、当日大当たり履歴0で500回ほど回ってる台を打った。
結果としては、それが偶然なのか成功して、それが必勝法となり、
しばらくの間、そのオカルト打法でかなりの額を稼いだのです。

今思えば、その頃からホルコン制御や遠隔などが実在するのではないかという疑念が自分の中で生まれたのです。

もしかしたら、フェアな戦いではないのではないか?一方でCRガロの衝撃は大きかった。
わすがな時間でドル箱の山が積み上がるのだ。
初打で勝てたものの、確変中のスピードに『これはやばい…。』とその時の衝撃というか、これを打ち続けていたらとんでもないことになるのではないかという嫌な予感を感じたのです。

その頃、私にとってもう一つの衝撃な事件がおきた。

私を育ててくれた社長が退任することになったのです。
唯一の味方、仕事の師、恩返ししたい人、尊敬する存在。

私はこの職場をいつ辞めてもいいと常日頃思っていました。
上司らも私を辞めさせたいと思っているわけであり、お互いにとってその方がいいわけです。
だが、私が辞めなかったのは、その社長に迷惑をかけたくない、心配をかけたくない、落胆させたくないという気持ちがあったからです。
この人と仕事をすることが純粋に楽しかったのです。

しかし、その予期せぬ報せを聞いた私は、張り詰めていた緊張の糸が切れたのです。

今でもその緊張の糸が切れる瞬間、その音がまざまざと思い出され、耳朶に響いています。

取り敢えず、今まで我慢してきた憤怒を解放させ、上司達をぶん殴り辞めようかと考えました。

独り身なら直ぐに実行していたのは間違いありません。

だが、今は家族がいる…。
やりきれない気持ちを抱えながら、自分の中にある魂が小さくなっていくのを感じました。

その年の年末、私は1年置いた新婚旅行として、妻と沖縄に旅行へ。
何もかも忘れて沖縄で楽しむはずが、自分の中に大きな違和感を感じました。
全てに感動がなくなり、楽しむ気持ちもなくなり、食べ物の味も感じなくなったのです。

年が明け、私は仕事に行けない体になっていました…。
心療内科に行くと、医師からは「うつ状態」との診断を告げられたました。

依存症体験記
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