【前回の内容は↓】
休職したことによって傷病手当金として、給料の66%が貰えることになったが、そこには賞与などは考慮されないので、実質的に年収は半減した。
妻は働きに出ることになったが、扶養範囲内の給料におさめるため年収は103万に抑えた。
妻が働きに出るときは、本当に情けない思いになった。また、それでもパチンコ・パチスロが辞められない自分を憎んだ。
ギャンブルは人間を壊す。ギャンブルは家族も壊す。
そんな状況の中でも私はパチンコ屋に通った。
その頃、パチスロで賑わったのがエウレカだった。老若男女が朝からエウレカに向かっていた。特に女性の人気が一際目立っていたと思う。
私も普段は朝からパチンコに向かうのだが、エウレカを知ってからは、15時まではパチスロを打ち15時からはパチンコを打つようになった。
ハイエナをするでもなく、ゾーン狙いをするでもなく、回転率でパチンコを打つでもなく…そして、言うまでもなく、借金は嵩んでいった。私が持っているカードは限度いっぱいとなり、もはや借金はできなくなった。
そんな時、国道沿いを車で走っていると、自動貸付機があるア○ムの店舗を目にした。
どうせ、これ以上の借金はできないと思っていたが、一か八か店舗に入ってみることにした。
手続きを終え、通信で金融会社の担当者と会話をすると、貸付可能額が50万であることがわかった。
当時は総量規制が始まる前であったので、給料明細書などは提出する必要がなかった。50万が借りれることを知り、私は狂乱した。
すぐに10万を借りるとパチンコ屋に急いで駆け込み、エウレカを思う存分打った。
その日から、エウレカ一色で朝から夜まで、妻が汗を流しながら働いているにも関わらずエウレカに取り込まれていった。
パチンコ・パチスロ依存症者はどんな状況でも資金を調達する。
不思議なくらいに資金調達の知恵が湧くのだ。
まるで麻薬中毒者が薬物を求めるように。
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