私は、消費者金融から借金した金でパチンコのまぐれ当たりを引き、20万円程の金を手にしました。
その後、大学の夏季休講という事もあり、運転免許を取るべく、地方の合宿免許へ申込みをするのですが、パチンコで勝った金は使わず、またもや親のすねをかじり、免許合宿費用を捻出してもらうのです。軍資金は何としても確保しおこうという思考がギャンブル脳といっても過言ではありません。
そして、大学の友人と自動車免許合宿へ行くのですが、そこでも私は異常な行動を取り続けます。
自動車免許の合宿は一日6時間ぐらいの受講なので、結構な時間が余るのですが、やはり私は、宿泊所の周辺を歩き回りパチンコ屋を探しあてるのでした。当時は今の倍ほどパチンコ屋があったので、どんな地域でも少し探せばアミューズメントという名の賭博場がそこにあったのです。
時間を持て余すと言っても、観光名所もあり、情緒豊かに見物や歴史を知る観光巡りなども出来たのですが、時間があればパチンコをやりたい衝動にかられていたのです。友人からは、
「嘘だろ!?パチンコやんの?いつでも出来るだろ…」
と呆れられました。
しかし、そんな友人のあきれ顔をよそに、この時も「CR大工の源さん」は好調で、合宿中に大きく負けることもなく、さらに持ち金を増やしていきました。友人をも大切にできなくなる、これもまたギャンブル依存症の性質なのだと思います。
以前、社会問題になっていた、「幼児車内置き去り事件」のように、車に我が子を残しパチンコに没頭して熱中症で我が子を見殺しにするような事は、起こるべくして起こった事件なのだと考えます。ギャンブル依存症は理性を破壊して正常な判断ができない程に深刻です。
自動車免許合宿では、閉店までやったパチンコの疲れで、翌日の免許の授業に寝ちぎりそうになるなどのハプニングもありましたが、何とか無事自動車免許を取得する事はできました。
しかし、私はその後も消費者金融に毎月一万円を返済しながら、パチンコ・スロットの勝ち負けを繰り返し、借りては返し、返しては借りるという日々を送っていたのです。
そんなある日、大学1年の冬頃だったと思います。幼馴染で偶然同じ大学に通っていた先輩が自宅に訪ねて来て、運命の歯車が少しづつ変わっていくのです。
どこからか、私がギャンブルに溺れていて、大学の講義にも休みがちであることを聞きつけたようで、どうやら、そんな私を心配して訪ねてきたようでした。その時、驚いたのは、その先輩が昔とは変わり、話す内容や顔つきが清廉されていたことでした。
その先輩は学内活動に没頭していて、
「学業に専念できないなら、悔いないように一緒に学内活動でもしないか?」
そんな言葉を投げかけてもらいました。
どうせ、暇があればパチンコ屋に入り浸るような生活で自己嫌悪も抱いていたので、その誘いは救いの手でもありました。
「自分を変えるしかないか…」
昔は毒舌の塊のような人で、口を開けば他人の悪口しか言わなかった先輩が変わっていた事も刺激となり、私はそこに一縷の望みを繋いだのです。
そこから、学生生活残りの3年間は、自分自身を変えるため、学内の活動に全力で取り組みました。何よりも、多くの先輩・同期・後輩と絆を結ぶことが出来て人生は一変しました。※この時の人間関係が後々にも私の助けとなります。
とてつもなく濃い3年間は瞬く間に過ぎ、私の時代は就職氷河期と呼ばれた時代でしたが、学内活動の功績やそこで得た人間関係、自己の性格の修正もあり、早々と希望の会社の内定も貰うことが出来て、晴れて卒業を迎えることができたのです。
両親の喜び、共に苦労を分かち合った仲間との惜別、
その時はまだ、これから起こる負の連鎖、地獄の苦しみ、絶望の日々を知るよしもありませんでした。
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