【前回の内容は↓】
ある年の正月休み、私は妻の実家に挨拶に行ったのはいいが、パチンコ・パチスロ依存症の禁断症状がでて、挨拶もそこそこに、近くのパチンコ屋に足を運んでいた。
「お義父さん、お義母さん…すみません…この後、友達と会う予定がありまして…」
と嘘をついてよそよそと帰ろうとする私を、義理の両親は驚いた様子で見ていた。
禁断症状が強い時は、常に心ここにあらずで傍から見れば、挙動不審なのかもしれない。私は負けが続いたり、借金を重ねている時、よく周囲から顔色が悪いと言われた。しかも、その血色はどす黒い色だと。さらに、人相が悪くなっていっているとまで言われた。
逆にギャンブルを止めると、友人などに送った写メなどから
「顔色が良くなったね。なんかあったの?」
「顔が穏やかになったね。」
など頻繁に言われたことから、ギャンブル漬けの時はこの世の物とは思えない表情でパチンコ・パチスロを打っていたのだろう。
ギャンブル依存症末期には、駅からパチンコ屋まで警察官に後ろを張り付かれたので、職務質問をされる一歩手前の表情という認識で間違いないと思う。警察官もプロであるから、後ろを張り付かれても堂々と胸を張ってパチンコ屋に向かう私の動きを見て、
「ただのパチンカス」
かと判断されたものと考える。
とにかく、ギャンブル依存症末期には「警察官の職務質問」「パチンコ屋店員のマーク」というものが経験上あると思っている。
パチンコ屋の店員のマークというのは、この世のものとは思えない表情で店内を歩いているため、窃盗などの犯罪を犯すか、あるいは、個室のトイレに入って自〇をしてしまわないか、というマークである。いずれも、過去に実際にパチンコ店で起きている事象であるから、店員もそういった事に注意をするのは当然なのだと思う。
いずれにしても、日頃から自撮りをしたりして自らの人相のチェックをすることは、自己分析に用いられると考える。かつて、徳川家康は負け戦で命からがら城に逃げ帰る際に、あまりの恐ろしさに馬の上で便を漏らしてしまい、二度とこんな思いをしたくないという思いから、その無様な姿を絵師に描かせ、常に目が届く所にその絵を置いていたという逸話がある。
ギャンブル依存症の自らの姿をどこかに収めておき、戒めとする事も一つの方法なのではないかと思う。
時を戻そう。
正月休みに義理の両親に挨拶そこそこで、パチンコ屋に向かった私は、運よく勝つことが出来たが、人としてはほぼ負け確定で間違いない。
東日本大震災後、東電事故があり、東京でも節電が問題になってパチンコ屋を休業させれば相当な節電になるというニュースがあった。
当初、石原都知事は強気な姿勢で
「パチンコ屋なんか休業させろ!」
と言っていたが、誰から報告を入れられたのか、記者会見で
「パチンコで飯を食ってる奴もいるそうじゃないか…。」
と笑いながら発言し、パチンコ屋の休業指示は出さなかった。20兆産業の闇の圧力に負けたのか、あるいは、戦後の貧しい中を生きた自身とスロパチ生活者を重ね合わせたのか、理由はわからないが、その言葉は業界を守るというよりも、パチプロやスロプロを擁護するように感じられた。
私は決して、パチプロやスロプロが悪いとは思わないが、若者達がその可能性を潰すかのように、ハイエナと期待値の狩に勤しんでる姿を見ると、その自制心と判断力と執着心があれば、他の何かに通用するのではないかと感じていた。
パチンコ・パチスロで金を獲得しても、そこには何も創造するものはないと断言する。
そして、ある一定数の人が脳が破壊されギャンブル依存症に罹患して、一生苦しむということをここに記しておきたい。
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