パチンコ屋で押忍!番長2を打ちパチスロ仲間ができる【ギャンブル依存症体験記 第25話】

https://ganbulingaddiction.com/2021/09/08/story25/(新しいタブで開く)依存症体験記

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【前回の内容は↓】

YouTubeやニコニコ動画で某有名パチスロライターの解説を夜な夜な聞いている内に、「番長2」の魅力に憑りつかれていった私は、パチスロ「押忍!番長2」で程よい心地よさを感じていた。

一撃で大量出玉が出るフラグも好きだが、それよりもコツコツと出玉を積み上げるゲーム性が好きだったのかもしれない。

だったら、ギャンブルなどやらずにコツコツ働けと言われそうだが、それはごもっともで返す言葉もない。

一つ感じる所は、パチンコ・パチスロが他のギャンブルと差別化するならば、多彩なゲーム性がパチンコ・パチスロには組み込まれており、そのゲーム性もまた依存の要因なのかと思うところがある。

実際、大量の出玉を積み大勝しても、何か物足りないとか、楽しくなかったと感じる事は度々あったのだ。

「番長2」については、自分が好む要素が多く組み込まれていたのだと思う。新台で「番長2」が導入されて時に、初めて番長2を打った際は、ボーナスの出玉の少なさとリプレイの多さに衝撃を受け、それ以来敬遠をしていたのだが、ある時、ふと打った番長2で7000枚近くの出玉を得ると、その評価は変わっていた。

それ以来、毎日のように番長2を打つようになった。素人に毛が生えたような設定推測をしながら、夕方まで思う存分パチスロを打つ私にとっては、丁度良い機種だった。脳からは平均的にドーパミンが放出されて幸福感を感じ、仕事もしてないのに、夜には疲れて眠りに入っていた。

しかし、毎日のようにパチンコ・パチスロを打った後に感じる倦怠感は、脳で起こっている異常現象の表れだと感じていた。明らかに一日懸命に働いた後に感じる疲労感とは別物だったのだ。

そんな「番長2」を毎日のように打っていたある日、ふとしたきっかけでパチスロ仲間で出来た。

それまでパチンコ屋でよく顔を見かける人たちは何人もいたが、自ら交流を持とうとは微塵も思うことがなかった。気を使うのも面倒という事とギャンブルをする場所で親しくなってもろくな事がないと思っていたのだ。

高校生の頃も友達とパチンコ屋に行くこともあったし、学生時代も社会人になってからも他の場所で出会った仲間とはパチンコ屋に行くこともあったが、素人同士で打ちに行ったとしても、負け前提の遊びで行かないと嫌な思いをすることが多かったからだ。

自分のタイミングで帰れなかったり、一番大きな要素はお金の貸し借りだった。

そういった事もあり、ギャンブル依存症者は孤独な人が多いという表現がぴったりのような日常を送っていたのだが、ついにパチスロ仲間が出来てしまったのだ。

朝の並びでよく顔を合わし、どちらか調子が良い時は缶コーヒーを差し入れるような間柄でパチンコ屋ではよく見かける光景だと思うが、私は連絡先も交換せず程よい距離感を保つようにしていた。というのも、自分の中でいつかこの人からも金を借りようとしてしまう自分が内在している事に気付いていたからだ。

「借金できる場所がなくなったら、この人にもきっと借金を頼んでしまうだろう…」

持ち金が無いのにパチンコ・パチスロが打ちたくなって人に頼んだことは何度もあった。その時はもう自制心が効かない事を自分でも分かっていたのだ。

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