高校2年生のある朝、急に目が覚めた私は、パチンコを打ちたいという衝動にかられました。
それまでにパチンコを打ったのは、幼少期に親戚のおじさんに連れられ、羽物みたいなパチンコとリーチ目が既に入ったスロット(リーチ目が出れば次ゲームでボーナスを揃えられる)だけでしたが、今思えば、その時の興奮が頭の片隅に残っていたのだと思います。
親戚のおじさんの計らいで、釘が良いパチンコとボーナスが揃う状態のスロットを打たせてもらったおかげ?なのか、出玉を得ることが出来て、ファミコンのソフトに景品交換してもらったという興奮です。
今でもあの日の事は不思議に思っています。それまで、気にも留めなったパチンコを急に思い出したのです。
私服に着替えると近くの昔ながらのパチンコ屋に行きました。
手持ちの資金は5000円程度だったと記憶してます。
今なら話にならない資金ですが、高校生の私にとっては大金でしたし、当時は5000円で勝負になるような機種が多くあったのだと思います。
打った機種は『春一番』
確か2,000円~3,000円で大当りを引き、そこから連チャンして15,000円ほど勝ちました。
これが地獄の始まりでした。
私は勝ったお金で、当時乗っていた原チャリの付属機器を買い、「簡単に楽して儲けた!」と異様な高揚感に包まれていったのです。
調子に乗った私は、それから高校の仲間とパチンコにハマルようになりました。まず、朝のモーニング台とよばれる高確率で当たる台を取るため、学校を休んだり、着替えを持って登校し途中で抜け出してパチンコ屋に向かうという異常な行為でした。
そして、バイトで貯めた資金がなくなると、親が貯めていた500円貯金箱から数千円づつ盗むようにもなりました。
※専門医がテストする「ギャンブル依存症チェックリスト」に照らしても、この時点でギャンブル依存度は深刻だと分かります。
記憶を遡ると、このあたりから自身の人格がおかしくなり、人間関係もおかしくなってきたように記憶してます。
学校が終わると毎日のようにパチンコ屋に直行するため、パチンコ屋に一緒に行く仲間以外の友人とは疎遠になっていきました。
夜になると、中学時代の仲間が友達宅でたむろしていたので、パチンコの出玉で交換したタバコをもって遊びに行ってましたが、パチンコをやらない友人らは、『無駄遣いだな』と一蹴するので、負けた時は遊びに行かず、勝った時だけ、自慢話をしに行く程度となりました。
そうして、私はパチンコ・スロットが中心の生活になり、孤独になっていったのです。
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