【前回の内容は↓】
ギャンブルに狂い、パチンコ・パチスロが日常となった愚かな私は、休職となった翌日からパチンコ店に足を運んでいた。
会社に迷惑をかけているという後ろめたさもあったが、それ以上に職場での精神的負担を回避し、パチンコ・パチスロを打てる事に幸せすら感じていた。
長いスパンで物事は判断できず、目先の快楽、即ち、機械の前に座ることで心は満たされていたのだ。
「以前のように、もう借金は繰り返さない。今度こそ勝ってやる。上手くやり続ければ何とかなる。」と本気で思っていた。
その頃、流行っていたのはパチスロ「モンスターハンター」で、設定差があるチェリーをカウントしながら打つようになっていた。
それまで、パチンコを打つ時も回転数を気にすることもなく、パチスロを打つ時も設定看破などを意識することは皆無であった。ただ、それは気休め程度なもので、パチンコ・パチスロで生活しているプロの「店選び、機種選び、台選び」という前提もなく、何の根拠もなく闇雲に台を選び、ネットで得た知識のみで設定看破を試みようとしていたのだ。
だが、当初通い始めたパチンコ店の状況が良かったこともあるのだろうが、運よく私はパチスロ「門スターハンター」で連勝することができた。
この頃はまだAT機もなく、A+ART機が主流であり、午前中に5万も負けるようなことはなかったように記憶している。パチスロはパチンコと違い自分のペースで打てる事もあり、時間だけは膨大にある私は、ゆっくり噛みしめるようにパチスロを打っていた。
それから、1カ月も経たないうちにパチスロ「モンスターハンター」は店から減台となり、徐々に他の客も座らなくなった事から、私も他の機種を探すようになっていた。
次に打ち始めたのは、新台として導入されたパチスロ「リングにかけろ2」で、とある日に2撃で16,000枚の出玉を得た事から、その機種の虜となっていた。
16,000枚、換金にして32万円。これは私のパチスロでの過去3番目の出玉となった。過去、パチスロで最高出玉は27,000枚、換金にして54万円を「スーパーブラックジャック」で出したのが記録だが、生涯の負け額からしてみたら、雀の涙程度のもので、ギャンブル依存症として特有の「良い思い出だけが記憶される」という、まさに見本のような出来事だと思う。
この頃、ひと際目を引く、明らかに大都技研のパチスロ「番長2」のパクリと思われる機種が登場していた。その名をパチスロ「押忍!!豪炎高校應援團」
見た目も、機種名も、訴訟にならないのかと普段パチンコ屋で鉄仮面のような表情をしていた私も、この時は吹き出す羽目になった。
懐疑的な気持ちというか、椅子に斜めに座りながら、初めは斜に構えて打っていたが…それは本家より面白いのではないか?という瞬間を味わうことになったのだ。
そして、最初で最後に打ったパチスロ「キン肉マン-キン肉王座争奪戦-」。
朝あら天井に到達し、1/2のスーパーマッスルボーナスで事なきを得るが、朝から天井到達まで何も起こらない事に鬱屈した気持ちになり、もし、天井で悪い方の1/2を引いていたら、きっと機械をぶっ壊していただろうという思いに至り、その後、二度とこの機種を打つことはなかった。
「やはり、A+ART機が面白い…」と感じつつも、新台導入される機種はART機ばかり。
そこで古い機種に目を向けると、そこにはパチスロ「押忍!番長2」が鎮座していたのだ。
そして、私はYouTubeからある有名ライターを知り、深く深く、さらにパチスロにはまっていったのだ。
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