閑職と呼ばれた部署へ異動した私は、社会の現実を知ることになりました。
名刺の肩書きや部門が変わるだけで、人の態度は変わり、
今まで付き合いがあった、仕事の関係先の人間は離れていき、
そして、「若いのに閑職に飛ばさたのであれば、何か問題を起こしたとのではないか」
と社内では噂されました。
やりきれない気持ちに輪を掛けるように、
異動先では、若い頃の自分では「やりがいがない…」と思えるような仕事も待っていました。
何よりもその部署自体が元気がない事に驚きを隠せませんでした。
皆それぞれ理由があり、その部署へ来ており、
人生の影の部分が色濃く反映され、それが空気感として漂っていると感じたのです。
唯一、楽になったのは、車で通勤できるようになった事と、
パワハラを全開に踏み込んでいた上司らと顔を合わす必要がなくなり、
明るいパートのおばさん達とコミュニケーションとるだけで良くなったことです。
初めはやる気の欠片もありませんでした、
時間が経つにつれ、人間関係のストレスがなくなったのか、
徐々にやる気も起きて、自分なりに工夫をして仕事をするようにもなりました。
環境の変化と共に、今まで日常的になっていた、
外出中のパチンコや退社からのパチンコ屋という流れも変わり、
自然とパチンコ・パチスロとも距離をおくようになっていました。
しかし、頭の中では強い刺激を求めていることは事実でした。
仕事は定時にしっかり終わり、家に帰宅するのは午後6時過ぎ…
若い私にはパワーがあまり過ぎる程、悶々とする日も多かったのです。
そんな時、気分晴らしで何気なく本屋で購入した本を読んでいると、
心に留まる一文を目にしました。
環境を変えれば、自分を変えることができる。
しかし、それは不確実性のものだ。環境に支配された自分である。
自分を変えれば、環境も変えることができる。
そして、これは確実性のもので、環境に支配されない自分なのだ。
心が揺さぶられる思いでした。
「自分を変えてみよう…。」
これまで、私が心を改めようとする時、
ギャンブルへの衝動はより強く反応してきました。
未来への希望を容赦なく踏み潰しに来るかのように。
この時もそうでした。
職場から車で帰宅する時に、いつもと違う道を選んでしまった私は、
一軒のパチンコ屋を目にしてしまのでした。
新社会人1年目の時のように…。
パチンコ屋のネオンに虜にされた人間は、
その快楽を求め、全ての理性を失い、地獄へ向かうのです。
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