国歌「君が代」の成り立ちと国歌独唱が上手い歌手6選

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国歌独唱が上手い歌手

GACKT(ガクト)

GACKT 国歌独唱-2012 03 29 メジャ―リ―グ開幕戦-

MISIA(ミーシャ)

https://www.youtube.com/watch?v=DxAOzJqxh0E
【NHK】もう一度! 開会式 MISIAさん国歌を歌う | 東京オリンピック

玉置浩二

君が代(独唱) 玉置浩二

吉田美和(ドリカム)

圧倒的!ドリカム 吉田美和の日米国歌独唱 国歌斉唱

小柳ゆき

小柳ゆき 国歌独唱

宝塚歌劇団

https://www.youtube.com/watch?v=40nQxgortZw
【NHK】ノーカット 宝塚歌劇団の国歌斉唱 | 閉会式 | 東京オリンピック

「君が代」の成り立ち

明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン (John William Fenton, 1831-1890) の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。

しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐すけ庸つねと改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。

その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。この時点では、いわゆる国歌としての位置付けで取り扱ったのは、海軍省と宮内省のみでした。

歌詞の選定および作曲者に関しては諸説あります。歌詞は『古今和歌集』所載の〝我が君は…〟で歌い出される「読み人知らず」の古歌とされています。作曲者は、宮内省楽部伶人の林廣守とされていました。しかし、現在では多くの研究書があり、諸説あることから、ここでは言及をさけておきます。

この「君が代」は、海軍軍楽隊のお雇い教師、ドイツ人のF. エッケルト (Franz Eckert, 1852-1916) によって吹奏楽用に編曲され、明治21年に海軍省から各条約国に「大日本禮式」(JAPANISCHE HYMNE)の題名で送付したとされています。調子は、フラット(♭)二つの変ロ調でした。

明治26年8月12日の官報第337号に載った「祝日大祭日歌詞竝樂譜」の文部省告示は、次のとおりです。

文部省告示第三號 小學校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌
詞竝樂譜 別册ノ通撰定ス 明治二十六年八月十二日        文部大臣井上毅

別冊には、「君が代」「勅語奉答」「一月一日」「元始祭」「紀元節」「かんなめ祭」「天長節」「にいなめ祭」の八曲が、楽譜付で載っています。解説には、「國歌君が代」と記述されていることからも、「君が代」は国歌として位置付けられていたことが確認できます。調子は、「大日本禮式」より一音高いハ調でした。

国歌「君が代」について (mod.go.jp)

「国旗国歌法」の制定

前述のことから「君が代」は国歌として長らく演奏されてきましたが、法的に根拠がないということで、平成11年8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が国会で成立、13日に公布(号外第156号)し、次のように即日施行されました。

国旗及び国歌に関する法律をここに公布する。
御  名  御  璽
平成十一年八月十三日 内閣総理大臣  小渕  恵三
法律第百二十七号
国旗及び国歌に関する法律
(国旗)
第一条  国旗は、日章旗とする。
2  日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条  国歌は、君が代とする。
2  君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
(以下「略」)

この別記第二として載っているハ調の「君が代」の楽譜には、テンポの指定、強弱記号はなく、本来6カ所あるべきスラーが付いていないなど、不完全なものでした。

国歌「君が代」について (mod.go.jp)

演奏の規定と慣例

国歌として演奏されていた「君が代」は、大正元年8月9日「儀制ニ關スル海軍軍樂譜」の制定により、海軍では次のように定めていました。

第一號  君カ代  天皇及皇族ニ對スル禮式及一月一日、紀元節、天長節、明治節ノ遙拜式竝ニ定時軍艦旗ヲ掲揚降下スルトキ

海上自衛隊においては、昭和36年1月18日「儀礼曲の統一に関する通達」が制定され、その最初に次のように定めています。

君が代(1)国旗又は自衛艦旗の掲揚降下の場合 (2)諸儀式において儀式の執行者が必要と認める場合

海軍の軍艦旗、海上自衛隊の国旗・自衛艦旗の掲揚降下とは、朝8時に掲揚し日没時に降下する、古くからある万国共通の慣習によるものです。

楽隊(軍楽隊)が乗り組んでいる艦が外国の港湾に停泊中は、自国の国歌で掲揚降下を行い、その後に訪問国の国歌を演奏することになっています。同所に他の外国軍艦が停泊している場合は、指揮官の序列により、それぞれの国歌を奏します。

国際観艦式等で、多くの国の軍艦が集結している場合は、申し合わせにより省略することもあるようです。中南米の国歌のように、5分を超える長い国歌の国が多く集まると20~30分も掛かることがあるでしょう。

国歌「君が代」について (mod.go.jp)

テンポと演奏時間

明治21年のフェントン編曲「大日本禮式」のテンポは ♩ =70と設定されています。大正元年の「儀制ニ關スル海軍軍樂譜」の別冊に定められた「海軍儀制曲總譜」の第1号「君が代」にはテンポ表示はなくLarghetto と速度標語が記載されています。

明治26年8月12日の文部省告示「祝日大祭日歌詞竝樂譜」では ♩ =69になっています。これは、振り子式メトロノームのメモリに70はなく、69の次が72であることから、最も近い69にしたものと推察されます。

海軍では信号ラッパで軍艦旗を掲揚降下する際は、ラッパ譜「君が代」を45秒で吹奏していました。同港湾に軍楽隊が乗り組んだ旗艦が停泊していた場合、演奏時間を同じにするために国歌も45秒で演奏していました。この際、テンポを ♩ =60で演奏すれば、1拍が1秒として11小節の国歌は44秒となり、終わりを少し伸ばせば45秒となります。このテンポに関しては、習慣的に実施していたようで、明文化された文書等は確認しておりません。

リオデジャネイロ・オリンピックでは、日本選手が金メダルを取った際の表彰式の「君が代」は、1分20秒かかっていました。あまり遅すぎて、思い切って大声で歌えなかったと話題になりました。

大相撲の千秋楽で歌われる国歌は、大勢の観衆が歌いやすいテンポで演奏されているようです。前奏を除いて、50数秒位の演奏のテンポ設定が、適当ではないかと思われます。あまり遅すぎますと間が持たず、途中で飛び出して歌う人が必ず出ます。

千秋楽の際は〝国歌斉唱!音楽隊の前奏に引き続き、ご唱和ください〟と場内放送があります。音楽隊は、初めの2小節を前奏として演奏しますが、これがなければ多くの人が一斉に歌い出すことは無理でしょう。

いずれにしましても、大勢で歌う時、国旗を掲揚降下する時など、その場の雰囲気に最も合う適当なテンポの設定が必要でしょう。

国歌「君が代」について (mod.go.jp)

国歌「君が代」の楽譜

国歌「君が代」の吹奏楽譜は、昭和17年末には「バンドの友社」「管樂研究會」「共益バンド樂譜」(吹奏樂譜、喇叭鼓隊譜、鼓笛隊譜)「愛國バンド樂譜」「タナベバンド樂譜」と、多くの楽譜出版社から販売されていました。

戦後も、その流れをくむ出版社、あるいは新たな出版社から何種類か出版されていますが、公式に認められた編曲の楽譜はないと言えましょう。

ここに添付する国歌「君が代」は、東京音楽隊が保有する「海軍儀制曲總譜」記載の楽譜を基に、現在の編成に合わせて編曲したものです。

海上自衛隊は、国旗又は自衛艦旗の掲揚降下および諸儀式で、この楽譜を使用して演奏しています。

国歌「君が代」について (mod.go.jp)

概要

10世紀初頭における最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌を初出としている。

世界の国歌の中で、作詞者が最も古いといわれている。当初は「祝福を受ける人の寿命」[2] を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌[2][3] となった。1869年明治2年)に薩摩琵琶の『蓬莱山』にある「君が代」を歌詞として選んだ歌が原型となっている。その後1880年明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルト西洋和声により編曲したものが、1893年明治26年)の文部省文部大臣井上毅の告示以降[4]、儀式に使用され、1930年昭和5年)には国歌とされて定着した。

1999年平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化された[5]。世界で最も短い国歌である。

君が代 – Wikipedia

歌詞

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」は、10世紀に編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出としている。

これが私撰(紀貫之撰集)の『新撰和歌』や朗詠のために藤原公任が撰した『和漢朗詠集』(11世紀成立)などにも収められ、祝賀の歌とされ、朗詠にも供され、酒宴の際に歌われる歌ともされたものである。

9世紀にあって光孝天皇僧正遍昭長寿を祝って「君が八千代」としているように、「君」は広く用いる言葉であって天皇を指すとは限らなかった。

すなわち、「我が君」とは祝賀を受ける人を指しており、「君が代」は天皇にあっては「天皇の治世」を意味しているが、一般にあってはこの歌を受ける者の長寿を祝う意味であった。

この歌が利用された範囲は、歴史的にみれば、物語御伽草子謡曲小唄浄瑠璃から歌舞伎浮世草子狂歌など多岐にわたり、また箏曲長唄常磐津、さらには碓挽歌舟歌盆踊り唄、祭礼歌、琵琶歌から乞食門付など、きわめて広範囲に及んでいる。

「君が代は千代に八千代に」の歌が、安土桃山時代隆達にあっては恋の小唄であることは広く知られるところである。

国歌としては、1869年明治2年)、軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンが日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことを始まりとしている[1][3]1880年(明治13年)、法律では定められなかったが、事実上の国歌として礼式曲「君が代」が採用された。そのテーマは皇統の永続性とされる。

日本の国歌の歌詞およびその表記は、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)別記第二では以下の通りである。

「さざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」とは「小石が成長して大きな岩となり、それにがはえるまで」の意味で、限りない悠久の年月を可視的なイメージとして表現したものである[9]。同様の表現は『梁塵秘抄』巻一巻頭の「長歌十首」祝に「そよ、君が代は千世(ちよ)に一度(ひとたび)ゐる塵(ちり)の白雲(しらくも)かゝる山となるまで」にもみえる[12][注釈 3]。一方では、小石が成長して巨岩になるという古代民間信仰にもとづいており、『古今和歌集』「真名序」にも「砂(いさご)長じて巌となる頌、洋洋として耳に満てり」とある。

イギリスの日本研究家バジル・ホール・チェンバレンは、この歌詞を英語翻訳した[14]。チェンバレンの訳を以下に引用する。

A thousand years of happy life be thine!

 Live on, my Lord, till what are pebbles now,

 By age united, to great rocks shall grow,

 Whose venerable sides the moss doth line.

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように

われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが

時代を経て、あつまりて大いなる岩となり

神さびたその側面に苔が生(は)える日まで

君が代 – Wikipedia
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

— 君が代、日本の国歌

動画紹介
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