さらなる借金と精神の荒廃【ギャンブル依存症体験記 第10話】

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もはや、借金をする事に後ろめたさもなく、自分の口座から引き出す感覚になっていました。

3枚目のカードは、大手カードローンで利息利率が18%ほどのもので、
消費者金融よりも利息率は良心的でした。

これも、同じように借金をする知り合いからの情報入手でした。

総量規制がない頃でしたから、
仕事に就いていれば借金は簡単にできる時代だったのです。

新たな借入可能枠が100万。

ここまで負けても、まだ、
パチンコ・パチスロで勝って返すとの思惑は崩れていませんでした。

慎重に台を選ぶようにもなったし、
イベントの店を選ぶようにもなりました。

だが、勝てる根拠となる期待値計算などは無知過ぎるほど何も知らなかったのです。

偶然、よい思いをすることもありました。

ブラックジャックで24000枚を出したり、
初代ルパンで万枚、コンチⅣで万枚などです。
賞与が入った日に10万円を突っ込み、5000枚を出して事なきを得る、
という事もありました。

しかし、それはほんのささやかなもので、
むしろ、その偶然的な大勝ちは、負けの記憶を書き換える
ギャンブルのトリックだったように思えます。

そして、「負けに不思議な負けなし」という故・野村監督の格言があるように、
負けるべくして負け続け、新たに作ったカードローンの借金も膨れていきました。

精神も荒廃し、職場での言動も開き直りに近い、
どうにでもなれといった、ふてぶてしい態度に変わりつつありました。

唯一残された僅かなプライドは、与えられた仕事だけはやり遂げ、
文句を言われない様にする事だけでした。

そんなある日、日頃から仕事をしない上司達が、
喫煙所でバカ笑いを30分もしている事に、私はブチ切れてしまいました。

日頃から、その行為に頭に来ていたのですが、
この日は、堪忍袋の緒が切れるように、完全にブチキレてしまいました。
これには上司による、私への重大なパワハラが関係しているのですが、
これを言葉に尽くすことが難しいのです…。

私は、勤務中にも関わらず、デスクを蹴り上げると、
仕事を投げ出し、無言で会社を出てしまいました。

それから数日間、直属の部署には連絡を入れず、総務部にだけ体調不良を訴え、
会社を休みました。

さすがに、直属の部署に連絡を入れず、会社を休み続けることに、
会社も心配してか、「何かあったのか?」という質問がきました。

私は、目を掛けてくれていた社長と直接話がしたいと申し出て、
非常識と分かりつつも、その機会を設けてもらったのです。

社長には、これまでの経緯を話した後、このまま今の部署では働けないと訴え、
自ら閑職と呼ばれた部署へ異動を申し出ました。

その事で職場の何人もの人から引き留める声をかけてもらいました。

退職した元上司からも電話があり、
こんな事で人生を遠回りする必要はないと説得もされました。

今思えば、ギャンブルに支配されていない正常な精神であれば、
こんな手段は用いなかったかもしれません。

当時の精神状態は、張りつめた糸がいつ切れてもおかしくない状態であり、
借金という重荷とパチンコ・スロットが止められないという悩みが、
職場の人間関係の悩みと複雑に絡み合っていたのです。

この時点で借金は300万。
わずか数年の出来事でした。

この騒動による私の酷い有り様を目の当たりにした両親は、
酷く心を痛めていました。
何と情けなく、申し訳ない事だったかと思います。

母親は、そんな私に何も言わず100万を用立ててくれました…。
そして、1社の借金を完済して、他の借金は自分で返済しようと考えました。
今もあの日のことは忘れる事はできません。

もう止めよう…。
なんの価値があるんだ。
この金と時間があれば他に何ができたんだろう

一度は止まり、考える時間ができました。

しかし、ギャンブル依存は中途半端な意志だけでは止める事は困難だったのです。
ギャンブル依存症になった人間は、「病気」にかかった状態なわけで、
適切な治療を受けなければ回復するはずもなかったのです。

私は、新たな職場でもその苦しみを味わう事になるのです…。

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